『黒川の女たち』長岡上映と松原文枝監督トーク

「私は昔のことだけは忘れません。満州で死ぬか生きるかを問うたんです」
今から10年ほど前、敗戦直後の満洲で起きた性暴力の実態を佐藤ハルエ、安江善子が自ら告白した。
当時、ソ連軍に差し出された女性は15人。数えで18歳以上の未婚女性が犠牲となった。
今はどこにもない国、満洲国。
岐阜県にある白川町黒川からも佐藤ハルエ、安江善子を含む650人余りの人々が黒川開拓団として海を渡り、丸5年その国で生活を送った。
「満州にいる時より帰国してからの方が悲しかった」
性接待の犠牲を払いながらも敗戦から1年、黒川開拓団の人々は帰国した。
しかし、帰国した女性たちを待ち受けていたのは差別と偏見の目。
二重の苦しみに追い込まれ佐藤ハルエは、故郷を離れるしかなく、未開の地・ひるがのをゼロから開墾し借金をして酪農を始めた。
安江善子は黒川を離れ東京に。
夜も眠れない毎日が続いた。
水野たづは、決して口外することはなかった。
それぞれが思いを抱え、それでもこの思いを口にすることなく、時に性接待の犠牲にあった女性たちのみで集まり涙をこぼした。
そんな日々が続いた中、2013年満蒙開拓記念館で行われた「語り部の会」で佐藤ハルエと安江善子が、性暴力にあったことを公の場で明かした。
彼女たちの勇気ある告白に、今度は、世代を超えて女性たちが連帯した。
彼女たちの犠牲を史実として残す。
戦後70年余、黒川の鎮守の森に碑文が建てられ、その歴史が公に刻まれることとなった。
戦後80年の時を経て、女性たちに大きな変化をもたらした。
過去に向き合うこと、それは尊厳の回復にもつながることだった。
お問い合わせ
長岡アジア映画祭実行委員会!
TEL:090-4520-4222